民事訴訟のIT化と裁判の公開

弁護士岡 文夫

1 日本でのIT化の現状

 現在、日本では、最高裁判所や法務省が中心となって、民事訴訟のIT化を急ピッチで行おうとしている。2020年2月からは、全国のいくつかの裁判所において、ネットのテレビ会話を利用して、争点整理を行おうとしている。しかし、このことは、2019年の秋に初めて、最高裁判所から弁護士会へ連絡されたのであり、あまりにも進展が早すぎる。そのため、弁護士の大部分は民事訴訟のIT化により何が行われようとされているのか、また、IT化にどのような問題があるかも認識できていないという、奇妙な状況が生じている。

2 日本のIT化と裁判の公開

 現在、日本で行われようとしているIT化は、弁護士が法廷に出かけず、ネットを利用したテレビ電話で裁判ができるようにする、というものである(これをe-courtという)。これは如何にも便利な方法のように感じる。しかし、原告代理人も被告代理人も、法廷に設置されたディスプレイ上に画像だけが現れれば足りるということになれば、そのうち、裁判官も、法廷のディスプレイ上の画像だけということになるであろう。そのような状態での裁判が果たして公開裁判ということができるだろうか。

3 韓国のIT化

 そのような疑問があったので、IT化が進んでいるという韓国に視察に行ってきた。確かに韓国では、民事訴訟のIT化が日本より何十年も進んでいた。しかし、そのIT化とは、訴状や準備書面の提出をネットを通してできるとか、裁判所に保管されている書面をネット上で閲覧できるというものである(これをe-filingという)。韓国では、このようなe-filingのための準備に30年以上の時間を掛けてきた。そして、10年以上前から、民事訴訟の記録を保存すために、巨大なサーバーセンターを全国の4か所に設置し、1か所のサーバーが火災などで損壊しても、他のセンターが代替できるというバックアップ態勢を整えている。このようにインフラを整えるだけでも10年以上の年月を掛けているのである。
 このように韓国では時間を掛けてe-filingを進めてきたので、現在では、裁判所への書面の提出の約8割がネットを通して行われている。しかし、それでも書面提出をネットを通して行うことは任意であり、当事者の同意があって初めて、ネットを通しての提出が義務となる。
 一方、韓国では、e-courtは例外的にしか行われていない。韓国の多くの裁判官は、裁判とは生身の裁判官や当事者が出席することが重要なことであると考えている。そのため、2011年にはe-cortを大幅に拡大するという法律改正が試みられたが廃案となった。

4 海外のe-court

 現在、世界中でe-courtを行っているのは、私の知る限りではシンガポールだけである。しかし、シンガポールは、IT化が進んではいるが、政権を批判すると処罰されるというような専制的な国であり、裁判の公開が軽視されている可能性がある。また、IT化が進んでいるアメリカでも、その中心はやはりe-filingであり、e-courtはほとんど行われていないと聞いている。

5 日本のIT化による弊害

 裁判の公開は、長年の歴史の中で人類が編み出した英知であり、裁判の重大な原則であり、憲法でも保障されている制度である。そして、裁判の公開とは、生身の裁判官や当事者が出席し、直接顔を見て意見を交わし、その状況を国民が直接見聞きすることが本質的なことである。e-courtはその裁判の公開を形骸化する可能性がある。また、日本には、韓国のようなインフラが全く存在しない。このような状況でいきなりe-courtを行うのは極めて無謀な計画である。現行のIT化施行の後には、公開裁判の形骸化という負の遺産だけが残る結果となるのではないだろうか。