消費者庁ができるんだって?

弁護士国府 泰道

 私がまだ弁護士7年生だった平成元年、松江市で開催された日弁連人権大会で消費者庁の設立を求める決議が採択された。豊田商事事件を初めとする欺瞞的な利殖商法の被害救済や訪問販売法改正運動など、若手弁護士が消費者被害救済に熱意を持って取り組むなかで提案されたあるべき国の姿だった。
 それから20年、今年4月の消費者行政推進会議で、福田首相は消費者庁を来年から発足させることを表明した。小泉改革のときのようにマスコミが大騒ぎしないものの、行政のありようを転換するものであり、「静かなる革命」と評されている。明治の富国強兵・殖産興業以来、わが国の行政は産業の育成振興を旨とするものであった。そのために業種、商品による縦割りの省庁が効率よい行政システムであった。そこへ国民の安全安心を旨とする省庁ができることは明治140年来の大きな変革である。

 消費者庁ができたら何がどう変わるのと質問される。
 例えば、消費生活センターの苦情が多い訪問販売などの被害事件を例に考えてみよう。これまで、法律で勧誘における禁止行為が定められ、これに違反すると行政処分が課されることになっていた。ところが、長い間行政処分が皆無であった。行政処分は伝家の宝刀であって、抜かれないものだとずっと思ってきた。平成13年の行政改革により事後規制強化が言われるようになって、ようやく行政処分が増えてきた。それでもまだ全国で年間数10件でしかない。ある自治体のデータでは、全相談の約2%が特定商取引法違反で処分が相当とされる事案であるという。全国の年間相談件数100万件であるから単純にいえば年間2万件の処分相当事案があるということになる。実際の処分が3ケタも少ない。しかしこのような現状を誰もおかしいとは思わず容認してきた。
 しかし消費者庁ができたら、法律違反事例が多数あるのに処分が少ないのは素直におかしいと評価できる。それが消費者目線の行政だ。そのおかしい現実は何が原因なのか、原因は取り締まる側の行政職員の数が少なすぎるからだといったことがはっきりしてくる。そうすると、予算を重点的に配分して取り締まるための職員数を増やすのかどうかといったことが国政の公開された場で議論されるようになる。これだけでも行政のありようがずいぶんと変わるのではないだろうか。

 消費者庁が本当に消費者目線で仕事をするのか、と思われる向きもあろう。器ができても魂が入っていなければダメだとも言われる。なるほど。でも、消費者庁設置法で消費者庁の仕事は消費者の権利、生活の安心と安全を守ることだと規定されれば、法律に基づいて仕事をする公務員はこれを無視することはできない。これができないような消費者庁は、存在意義を失い解体される以外にない。そうすると、消費者庁という新しい器に魂を入れる作業は、言い換えれば消費者庁の仕事のあり方を定める法律をどんな内容のものにするかにかかってくる。たとえば、貸金業法や割賦販売法が移管されたが、今のような消費者が読んでも意味が理解できないような難解な法律は廃止して、消費者に分かりやすい消費者信用法といった法律を作ることが求められる。行政処分だけでなく、消費者による権利行使により事業者の違法行為を抑止するといった手法が多く用いられることも必要だ。相談の現場を担っている地方消費者行政を拡充することも。

 明治維新が走りながら新制度を次々と用意していったように、この1、2年の間に消費者庁も次々と制度や法律を整備していかなければならない。現場を知る弁護士として、そのような場に何らかの意味のある提案をしていければ、弁護士冥利に尽きるのではないだろうか。