裁判員制度について一考

弁護士原 啓一郎

 この原稿は6月中に書いていますが、「裁判員制度」が始まりました。いろいろ考え方などあると思いますが、現時点で持っている感想を2点、述べておきたいと思います。

 委細まで承知していませんが、この制度の導入にあたり意識されていたのは時期的に90年代の状況であり、そこでは、「供述調書」や「被害者供述」への過度の信頼などによって真っ当な判断がされていない、これは官僚裁判官制の弊害であり打破するには「市民の常識」を導入しなければだめだ、といった見方があったように思います。
 確かに当時や昨今の冤罪事件の構造などを見聞きした範囲では、かかる見方にも一理あるように思われます。ですが、そのような「一理」が発揮されるような事件と、現行の裁判員制度の対象となる事件とが、あまり一致していないのではないかと感じています。例えば、「私はその場にはいなかった」という事件、痴漢冤罪を主張する事件、生活苦を原因とする窃盗や無銭飲食事件などは、「市民の常識」を判断に導入するのに適しているように思いますが、それらは現行制度の対象にはなっていません(一部除く)。逆に、例えば「事実関係に争いはないが責任能力だけが問題となる殺人事件」とか、「懲役何年になるかが主要な論点である事件」などは、官僚裁判官制で裁くことに問題があるとは認識されていなかったように思われますが、現行制度の対象になります(一部除く)。このように制度趣旨と制度自体とがややちぐはぐになってはいないのでしょうか。

 いずれにしても決まったからには一生懸命やるよりないのですが、この制度は3年を過ぎたら必要な見直しをすると法に書いてあります(附則9条)。そこで大いに引っ掛かるのが、「評議の秘密その他職務上知り得た秘密」を「漏らしてはならない」とされていること(9条2項)です。
 常識的に考えたら、「誰がどの意見だった」「あの証人がこう言ったことは嘘と判断された」といったことは漏らしてはならないということで良いのでしょうが、「こういう点でこういう意見やこういう意見が出た」「私はこういう考えだったが裁判官からこう言われて意見がこう変わった」「賛成と反対はこういう人数だった」といった内容は、プライバシーの侵害にもならないし、むしろ公的な情報と捉えるべきで、守秘義務をかけるべきでない、よって「秘密」ではない、と考えるべきと思います。
 しかし法律には、「秘密」とは、「評議……の経過」「それぞれの裁判官及び裁判員の意見」「その多少の数」だと書いてあります(70条1項)。これでは上記のような事柄も含まれそうです。疑問に思い法務省のHPを見ると、「裁判官も裁判員も、思ったことを自由に言えることが大切」「具体的な意見が外で明らかにされるとしたら」「評議でどのようなテーマについて話し合いをしたかが後で分かってしまうと」「批判を後で受けることになってしまうかも知れません」「そうすると、……意見を言うことをやめてしまう/せっかく思いついたテーマを持ち出すことをやめてしまう人が出るかも知れません」と書いてあるではありませんか!そんな心配は、「誰」の意見だったかを伏せれば済むことですし(特に真っ当な意見の場合)、また「裁判員」はともかくプロの「裁判官」をそのように「保護」すべきではないと思います。当局のHPにその程度のことしか書かれていないということは、「秘密」の範囲をそう広く規定したことに実は合理的な理由はないのではないか、本音は、批判されるのが嫌だ、裁判官は間違わない、といった誤った発想に基づいているのではないかと思ってしまいます。
 これでは、密室で行われる「評議」に対する批判可能性を担保することができず、制度論としてものすごい問題を孕むものと考えざるを得ません。今後の動向等を注視しつつ、当面の解釈論としては「秘密」を狭く解する(べき)ことにもなっていくのかなと思っています。