雪印集団食中毒事件遂に決着

弁護士田中 厚

1 雪印集団食中毒事件の概要

 2000年6月下旬、雪印乳業製造の低脂肪乳等により1万3420名が発症するという集団食中毒事件が発生した。食中毒の原因は、同年3月同社大樹工場(北海道)で脱脂粉乳を製造中の停電事故によりその原料が高温のまま放置されて黄色ブドウ球菌の毒素が大量に発生し、この脱脂粉乳を使った低脂肪乳等を同社大阪工場が同年6月に製造・出荷したことによるものである。6月28日の夜の時点で、雪印は7件23名の被害情報を得て、大阪市から製品回収と公表を求められたにもかかわらず、29日夜まで公表をせず、そのために被害者が拡大した。元大樹工場長ら2名は2003年業務上過失致死傷罪などで有罪判決を受けたが、公表遅れの責任で送検された社長、専務は不起訴になり検察審査会で不起訴不当の議決がなされたが再度不起訴となった。

2 民事訴訟の経過

 私たち大阪弁護士会消費者保護委員会の有志は、被害者弁護団を結成し、2001年に5家族9名から依頼を受けて懲罰的慰謝料も含め総額約6800万円の賠償を求めて提訴した。4家族8名は比較的症状も軽く被害額も少なかったため2003年8月に和解で解決した。
 残った原告1名(事故当時70歳)は、PTSDを発症し入院211日の後も症状が長期化し通院治療も続いていたため懲罰的慰謝料も含め6442万円の賠償請求をしていた(その後、訴訟中の2004年3月頃PTSDが寛解したため、4571万円に請求を縮小した)。訴訟では、PTSDとして食中毒と因果関係のある症状といえるか否かについて全面的に争いになり、当方はPTSD診断をした主治医の調査嘱託回答を援用し、雪印は他の医師によるPTSDを否定する内容の意見書等を提出した。5年を超える審理期間を経た判決予定日の直前に、裁判所から詳細な理由を付して650万円の和解金が妥当である旨の和解案が示され、双方ともこれを受諾して最終解決に至った。

3 裁判所の和解案理由の内容

 最大の争点であった原告の症状と食中毒との因果関係については、原告を食中毒事件の被害者と認めた上で、2004年3月に寛解するまでの一連の症状(精神的症状及び身体的症状)について、PTSDの典型例であると認めることはできないが、一連の症状の発生時期の近接性、器質性の脳障害が認められないこと、痴呆も否定できること等により、他の原因の可能性を否定し、本件食中毒事故との因果関係を認めた。仮に本件食中毒による原告以外の精神不安症状の発症例がないとしても因果関係を否定するのは相当でなく、心因性の素因減額要素の問題とし、本件では3割を超えない程度の減額が相当であるとした。休業損害については、女子労働者65歳以上の平均賃金の7割を基礎収入とし、入院期間211日については100%の労働能力の喪失、入院期間を除く寛解までの1146日については20%の限度で労働能力の喪失を認定した。慰謝料については300万円を認定し、その理由として、本件食中毒事故における大樹工場での杜撰な安全管理、事故発覚後の公表の遅れなど過失の態様の悪質さを指摘した。

4 和解内容の評価

 原告に生じた症状と食中毒事故の因果関係を認めたこと、雪印の過失の悪質性を認定している点で、本件の基本的な争点については当方の主張が認められたものと評価できた。金額的には懲罰賠償を認めず大幅に減額された点について、弁護団としては不満もあったが、原告にとっては食中毒と長期に亘る症状との因果関係が認められることこそが重要であり、これ以上の訴訟の長期化を避けることを望んでいることから、和解に応じることにした。

5 雪印事件からみたPL制度改革の必要性

 雪印事件の後も、BSE(いわゆる狂牛病)事件、三菱自動車事件、回転ドア圧死事件、エレベーター圧死事件、ガスファンヒーターCO中毒事件、パロマ給湯器CO中毒事件等、製品安全にかかる重大事件が多発している。これら製品事故の再発防止のためには、刑事責任の追及にも限界があることから、米国流の懲罰賠償制度を導入すべきである。また、PL法施行後11年経過しているが、PL訴訟自体10年間でわずか90件(内閣府調べ)であり、自動車、家電製品では敗訴判決も多い。被害者に課せられている欠陥や因果関係の立証責任が大きな壁になっている。本件では食中毒の原因については公的機関の調査・捜査によって明らかにされたため容易であったが、個別損害との因果関係の立証に多大の時間と労力を要した。これらの弊害を除去するためにPL法を改正し懲罰賠償制度と推定規定を導入すべきである。