弁護士の近況報告

岡 文夫

岡 文夫

 鈴鹿山系(滋賀県と三重県との県境)には標高約1000メートルの山々が連なっており、その中の特に高い7峰を鈴鹿セブンマウンティンと言います。日本百名山踏破は到底無理ですので、去年、この鈴鹿セブンを全部登ろうと考えました。鈴鹿は京都の自宅からは片道2時間程度かかりますので、1~2か月に1回位しか登れません。現在でやっと5峰踏破です。このニュースレターが皆さんに届く頃までに全部踏破できていれば嬉しいのですが。11月は、鈴鹿セブンの一つ、釈迦ケ岳に登りました。尾根には黄色く色づいたナラ類が続き、渓谷にはモミジの紅葉が進み、緑から黄、黄から赤のグラデーションが素晴らしい景色を作っており、何時までも眺めていたい美しさでした。長野などのアルプスより近くにこんな素晴らしい山々があることを発見して、宝物をみつけたような気分です。

国府 泰道

国府 泰道

書評『人新世の「資本論」』

 昨年読んだ本で最も納得し感激した4冊。
 9月にクレサラ被害者交流集会がWEB方式で開催され、その基調講演をされたのが著者の斎藤幸平大阪市大准教授。新進の気鋭で、話が大変説得的だったので、早速斎藤先生の著書2冊を購入して読んだ。その1冊が『人新世の「資本論」』だった。
 グローバル化した資本は、地球の隅々まで利益を求めていく。常に利潤の最大化を求める。鉱物・農業なども利益追求の対象なので採り尽くす。そして経済成長による利潤と富は人口の1%に帰属する。かつて農村共同体のように、今日食べるだけ(必要なだけ)を採って、明日に残しておこうというようなことはしない。グローバル資本が走り続けるためには成長を続けるしかない。既に人口減少が始まっているのに、低成長では生きていけない。地球温暖化で新自由主義経済は、行き詰まり(矛盾)を迎えている。
 地球温暖化を食い止めるには、そして人口減少にともなう「脱成長」の時代への対応のためには、グローバル資本に退場してもらい、コモンの民主主義的管理と使用価値経済へ転換した生産活動を行う共同体社会が必要だ。これが歴史の必然だと書いている。本当にその通りだと思う。

下枝 歩美

下枝 歩美

 私事ではございますが、昨年の2月に入籍し、「吉本歩美」になりました。業務では、旧姓の「下枝歩美」を使用していく予定です。
 11月には、結婚式・披露宴を開催しました。ご時勢により、体温チェック、マスク着用、フェイスシールドの配布等、コロナ感染予防対策下での実施でした。当事務所の先生方や、HPV(子宮頸がんワクチン薬害訴訟)弁護団の先生方、弁護士同期の先生方等々、多くの方にご出席いただきました。ありがとうございました。
 「いい式だったね」「花嫁の手紙良かったよ」等々、お褒めの言葉をいただき、大変嬉しかったです。準備には時間を要しましたが、当日はあっという間に過ぎてしまいました。
 今後は、公私ともにより充実した時間を過ごしていけるよう、精進して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

田中 厚

田中 厚

卓球のレッスン

 私は、高校時代卓球部に属していたが、専門のコーチから指導を受けることもできず仲間内で我流でやっていたので、試合に出ても負けてばかりいた。
 50歳を過ぎ、同窓生と卓球をし、再び卓球の面白さに目覚め、ネットで調べて個人レッスンをしてくれる本町卓球センターにたどり着いた。私は高校時代はラケットの握りはペンホルダーグリップであったが、プレイしているとすぐ指が痛くなり、肘を直角に曲げるため守備範囲が狭く、バックもラケットの裏面を使用しないため強打することはできないので、シェークハンドという握りに変えて、一から教わることにした。私らの若い頃はペンが主流であったが、今は世界大会などを見てもほとんどの選手がシェークを使用している。現在は週に1回1時間個人レッスンを受け少しずつ上達していっている。体重も減少に転じた。健康の維持増進のためにも、これからも続けようと思う。

新阜 真由美

新阜 真由美

 高校の芸術選択科目で美術を選択し、初めて油絵を学びました。もともと絵を描くことが好きで、教室に飾られていた先生の作品に興味を持った私は、もっと先生に教わりたいという気持ちになり、その先生が顧問をされていた美術部に入部しました。以後、私は、油絵を描くことに没頭したり、絵画の本を夢中で眺めたりして過ごし、2年ほどの間に十数枚の作品を完成させました。しかし、美術部を引退し、大学進学で実家を離れてからは、絵を描くことはなくなってしまいました。
 先日、友人に誘われて国立国際美術館で開催されていたロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行きました。高校生のときに夢中になった本の中の巨匠の原画を目の当たりにして心を揺さぶられ、心の奥にあった絵画の魅力にのめり込んでいた頃の気持ちが呼び覚まされる喜びに浸ることができました。

日髙 清司

日髙 清司

 『私達はどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま文庫)を最近読みました。文系人間の子供の頃の疑問と画家ゴーギャンの代表作の題名を元に、生物学者、脳科学者、物理学者らに、生命・生物とは? 死とは? 宇宙の始まりと終わりは? 等と問いかけた対談集です。科学の最先端を含むその内容は正直理解が困難でしたが、生命現象や物理現象のHOW(遺伝子の振る舞いや宇宙膨張、暗黒物質、暗黒エネルギーの存在等)は明らかになりつつあるものの、WHY(なぜ生命・宇宙が生まれたのか?)の答えは見出せていない、との結論のようでした。宇宙と生命が生じ、脈々と続いている流れ(渦)の中に現在の私達もウイルスも存在し、さらに次に流れて繋がっていくのか、と日常業務とは別次元の奥深い世界をちょっと感じた一冊でした。

村本 武志

村本 武志

Zoom授業の功罪

 コロナで教室での授業はヤダという学生も少なくなく、そのほとんどがリモート授業だ。コロナの下のリモート授業の形態には、A型(教材配信)、B型(授業録画配信)、C型(Zoom)がある。私はA+B+Cと欲張りだ。Zoomは画面越しの対面授業だ。ブレークアウトルーム機能を使えば、少人数のグループワークだってできる。ただ、通信速度や使用量(ギガ)制限などWi-Fi利用環境が十分でない学生にとっては、つらいものがあるようだ。リアルの大人数授業では、教員からは後ろの席の学生の顔は見えない。質問するにはそこまで歩いていかないといけない。Zoomだと、質問を受けた学生の困った表情がリアルに見える。200~300人授業でもまるで少人数のゼミをやっているようだ。学生にはそれが鬱陶しいらしい。授業はZoom録画し、Googleドライブなどに置いたデータをアクセス可能にしている。だから、リアルのZoom受講者の数は、最近めっきり減っている。寂しい限りだ。